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見立ての美学

今日は「見立て」というお話を少し。


端唄や民謡をやっていると、

歌詞に直接「恋」や「別れ」と書いていないのに、

なぜか心が動くことがありますね。


それが「見立て」です。


江戸の人は、思っていることをそのまま言うのを野暮だと考えました。

だから花に心を重ね、波に恋を重ね、月に別れを映しました。

つまり、本当の気持ちは景色に預けて唄ったのです。


たとえば

「梅は咲いたか 桜はまだかいな」


これは花の話ではありません。

恋の機が熟したか、相手の心をそっと探っている唄です。

花を見ているようで、人の心を見ている。

これが見立ての面白さです。


民謡にも同じことがあります。

沖の波を見て恋を思い、

山の木を見て人生を重ねる。

暮らしの中の景色を借りて、言葉にできない思いを唄う。

だから民謡は素朴でありながら、深い情があるのです。


私たちが唄うとき、

歌詞の意味だけを追ってしまうと浅くなります。

「これは何に見立てているのか」

ここを考えることで、唄の奥行きが変わります。


端唄は短い唄ですが、

その短さの中に余白があります。

全部を説明せず、聴く人に想像させる。

そこに粋があります。


ですから稽古のとき、

「この花は誰のことだろう」

「この月はどんな気持ちだろう」

そんな風に考えて唄ってみてください。


声の出し方や節回しも大事ですが、

見立てを感じて唄うと、自然と表情や間が変わります。

同じ曲でも、急に色気が出たり、情が滲んだりするのはそのためです。


江戸の芸は、直接言わずに伝える芸です。

全部を見せず、少し隠す。

その奥ゆかしさが端唄の品であり、民謡の味わいです。


景色を唄いながら、心を唄う。

それが見立ての美学です。


これからの稽古では、

音程やリズムと同じくらい、

「この詞は何を見立てているか」を大切にしてみてください。


唄が、きっと一段深くなりますよ!

 
 
 

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