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🌸「月謝」と「お稽古料」についての私の考え

月謝というのは、もともと「師に対する月ごとのお礼」――

すなわち、一年分の御礼を月々に分けてお渡しする謝意の形です。

ですから、たとえお休みをしても「謝意」としてお納めするのが本来の姿。

これは、昔ながらの師弟関係の中に息づく、美しい文化です。


ただ、今の時代に生きる皆さんには、仕事や家庭、環境の変化もあります。

私は、お稽古を“続けやすく”することも大切な礼の形だと思うのです。


そこで私は、「お稽古料制」を採っています。

これは、月謝のように形式的な“会費”ではなく、

学ぶ時間そのものに対してのお支払いという考え方です。

もちろんキャンセル料はありますが、

「通いたい時に通える」「無理なく続けられる」――

それが結果として長く芸に親しむ道になると感じています。


芸の道は、義理や形式だけで続くものではありません。

心が向いた時に門をくぐれる自由さと、

学びたいと思える空気の柔らかさ――

私はその両方を大事にしたいのです。


月謝の心も、お稽古料の仕組みも、

どちらも“礼”から生まれたもの。

その「礼」を今の時代に合う形で生かしていきたい――

それが、私の流儀です。

 
 
 

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