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芸道における努力の解釈

あくまでも私観ですが、努力とは、語るものではなく、滲み出るもの


「努力しました」と自分で言うことに、私はいつも、どこか引っかかりを覚えてしまう。


もちろん、目標に向かって懸命に励む姿勢を否定するものではない。けれども本当に努力したかどうかは、自分ではなく他人が見て、感じて、評価してくださるものではないだろうか。


努力とは、語るものではなく、滲み出るもの。


舞台でも稽古でも、人前に出る瞬間には、すでにその人の歩んできた時間が音や所作に現れてしまう。逆に言えば、「頑張っている」と言わずとも、聞く人、見る人には伝わってしまうのだ。


だから私は、努力とは「認めてもらえるかどうか」ではなく、「にじみ出るものかどうか」を大切にしたいと思う。


そして、もし誰かが「あなたは努力してるね」と言ってくれたなら、それは何よりの勲章だ。


そんな言葉をいただけるような芸を、黙々と、粛々と、積み上げていきたい。

 
 
 

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